地元ウィリアムズレイクでは山火事による避難命令が7月16日(土)午後6時に発令され、住民は300kmほど南のカムループスが指定避難地として移動させられました。

わが家は2匹の犬たちと共に同じ週の木曜日、警告の段階でクネルに避難していました。クネル付近でも山火事が起きており、ここで避難命令が発令されれば、さらに北のプリンスジョージへと移動する可能性も考えつつ、避難生活を送りました。

幸い会社が用意してくれたホテルがあったので眠る場所の心配もなく、犬たちは預かってくれるボランティア団体のお世話になって仕事も続行することができたので、とても恵まれた環境での避難生活でした。

そして、7月27日(木)お昼頃にウィリアムズレイクの避難命令が避難警告に引き下げられ、翌28日に帰宅しました。

ウィリアムズレイクの近郊でも、場所によっては未だ避難命令のままの所もあり、帰宅できない同僚もいます。また状況次第で再度避難しなくてはならないという不安定さはありますが、とりあえずは帰宅できたことを喜んでいます。

帰宅途中、市街地の入り口でこの看板を見たときは、かなり胸がきゅんとしました。

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それでは、再び時系列で続編です。

7月14日(金)

避難をしたら、避難地で登録をすることになっているので手続きを行いました。

避難の登録は2種類ありました。

連邦政府が赤十字を通して、避難した人たち向けの援助と家族が避難地を特定するために行っているものはウェブサイトか電話で登録します。こちらは、避難命令が出た地域の人で、すぐに援助を必要としている人が優先的に受けられるものです。

もうひとつは、州政府が行っているもので、避難地の地方自治体で登録します。クネルではロデオ会場の隣にあるArts & Recriation Centreに仮設の登録所がありました。

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登録をすると、避難の状況に応じて食料・宿泊・衣類・交通費・付帯費(衛生用品・洗濯用品・ペットフードやペットの宿泊費・医薬品)などの援助が与えられます。援助の額や期間は法務省に当たるMinistry of Justiceにより決められています。

わが家は警告の時点で避難、宿泊先あり、仕事を続行できる状態にあったのですが、1人当たり、1日22.50ドルの食料品のバウチャーをいただきました。その場で自分の好みのスーパーマーケットで買い物ができる5日分のバウチャーを作ってくれたので、とても助かりました。

この日の夕方は、知人がBBQによんでくれました。

地元では、牧場や畜産をしているわけではなく、色々な動物を飼っている家庭があるのですが、このお宅もそんな感じです。

ミニチュアヤギのダニーをデイジー。2匹とも、もう15才だそうです。

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ぶたもいました。

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馬は3頭。

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そして、ボーダーコリーのサニー。くるくる動きまわるので、うまく写真に納まらなかったのですが、とてもフレンドリー。

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奥様はフィリピン人で、フィリピン料理を作るから明日もご飯を食べにいらっしゃいとのことでした。よく知らない土地で不安満載の生活を始めた避難民としては、とてもとてもありがたいことです。暖かいお気持ちに大感謝。

帰り道、まだ日が残っていたので家人と犬たちを伴ってダウンタウンを散歩しました。

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クネルは、とても感じのよい街です。でも、煙の向こうに沈んでいく太陽を見ると現実に引き戻されました。

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7月15日(土)

知人のお言葉に甘えて、夕食をいただきに行きました。

奥様が食事の準備中は邪魔をすると指を切り落とされるかもしれないそうなので、居間でテレビのニュースをみていたところ、辺りがにわかに掻き曇ってきました。この日は曇っていましたが、普段なら10時近くまで明るいのに、こんなに暗くなってしまいました。未だ6時になったばかりなのに。

夕立でも来れば多少は火事を食い止められるかもしれませんが、雷雨となれば新たな山火事が発生する可能性もあり、強い風で木が揺れるたびに不安な気持ちにさせられました。

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地元ウィリアムズレイクではどんな様子か、それぞれが知り合いにテキストメッセージなどを送り始めた頃、避難命令が発令されたことを知りました。

後日談ですが、ウィリアムズレイクの住民1万人強の半分ほどがわが家同様、警告の時点で避難してましたが、残っていた人たちは避難命令が出て即移動しなければならなく、大変な渋滞だったそうです。避難地は北のプリンスジョージではなく、南のカムループスを指定され、通常なら3時間ほどの距離に7時間以上かかり、明け方近くにたどり着いた人もいたそうです。

7月16日(日)

この時点で、避難している人が約3万7千人、確認されている山火事162件、避難命令49、避難警告23と報道されていました。

この山火事の直接の原因はやはり落雷によるものだったそうです。ウィリアムズレイクは森に囲まれているだけに、天候次第かと思うと暗い気持ちになってしまいました。

いくら考えたところで状況は変わりませんし、明日から仕事。せっかくクネルにいるのだから、今は少しでも楽しく過ごそうと街を散策してみることにしました。

クネルには、街をぐるりと回るトレールがあります。

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閑静な住宅街やダウンタウン、フレーザー川沿いを歩いたり、全長5キロほどのコースです。

こんなすてきな並木道があったり、

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線路を上から眺めて、

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フレーザー川沿いに出ました。

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ダウンタウンの消火栓は、市の歴史にまつわる人物が描かれていて、それを巡るウォーキングツアーもあるそうです。

犬が描かれていたので、記念写真を撮りました。あとで調べてみましたが、この犬については見つかりませんでした。

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空は相変わらず、煙向うに隠れていました。

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夕方、上司から明日はホテルの会議室で仕事をするとテキストメッセージがきました。

7月17日(月)

わたしの部署では、休暇中に山火事が起きてバンクーバーで足止めになっている人、プリンスジョージに避難している人、最後まで地元に留まってカムループス経由でケロウナに避難している人などがいましたが、この日はクネルに避難した上司を含めて3人だけで仕事をすることになりました。

遠隔操作でサーバーにアクセスして仕事をするので普段とは勝手が違うのですが、大きな支障なく1日を終えることができました。

7月18日(火)

勤務先はウィリアムズレイクとクネルのほぼ中間に位置しますが、避難命令の出ている地域からは外れていました。ところが、クネルからオフィスに行くにはハイウエイを南下しなければならず、原則的にはチェックポイントより先南には行くことができなくなっていました。

事前に車のナンバーを登録して従業員であることを証明できる書類を携帯していれば、通勤のため限定でチェックポイントを通過できることになっていたので、この日、わたしの部署はオフィスに出向いて仕事をすることにしました。

わが家が警告の段階で避難したときはチェックポイントはクネルの南部1か所だけでしたが、勤務先に向かう手前にもうひとつ設けられていて、名簿を持ったオフィサーが全員の名前を照会してから通してくれました。

普段考たことはありませんが、コピーやスキャンする機械が傍にあったり、必要な道具が揃っている環境で仕事をするのは何と楽なのでしょう。自分のオフィスに戻っただけで、家に帰ったような気分になりました。

オフィスでは、別な場所に避難しているスタッフがオンラインで仕事ができるようになっていたので、人手が増えました。

この日はとても良いニュースがありました。

キャッシュ・クリークの避難命令が警告に引き下げられ、避難していた住民のみなさんが帰宅できるようになりました。

キャッシュ・クリークは車でバンクーバーに行くときの中間地点なので、いつも休憩を取る場所でした。わたしは、ガソリンスタンドのレストランでグリルドチーズを食べるのを楽しみにしていたので、何だか自分のことのようにうれしく思いました。

7月19日(水)

この日も自分たちのオフィスで仕事。

7月20日(木)

オフィスで仕事をしていると、外が夜のように暗くなってきました。風も強くなってきたので心配でしたが、雷はなく、大粒の雨が降ってきました。

これで少し火の勢いが抑えられればいいねなどと話していると、ウィリアムズレイクの市長が大雨の中嬉しそうに両手の親指を上げている写真がツイッターに載りました。まさに恵みの雨です。雨がこんなにうれしかったなんて。

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この日、オーストラリアから山火事の専門家50人が援助のために到着しました。

夕方、久しぶりに煙っていない夏空を見ました。

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7月21日(金)

クネルに移動してきた人が増えたようで、オフィスの人数も増えてきてました。

7月22日(土)

オカナガン地方のプリンストンで避難命令が警告が引き下げられ、こちらの人たちも帰宅できるようになりました。

ウィリアムズレイクでは、鎮火率10パーセント、食料品やガソリンなど住民の基本的な生活を支える物資の調達、病院の機能などを整える作業が続けられていましたが、住民が帰宅できる時期に関しては発表を控えていました。

7月23日(日)から 7月26日(水)

ホテルからちょっとドライブするとWest Fraser Timber Parkというすてきな公園があり、ほぼ毎日通っていました。余計な考えをリセットするには最適のところでした。

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大きな池がありました。

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真っ青な夏空を眺めていると、平和な気分になります。

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自然トレールもあり、

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犬たちを遊ばせました。

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7月27日(木)

お昼ごろにウィリアムズレイクの避難命令が警告に引き下げられました。家に帰れます。近隣地域に住む人たち中には、未だ避難命令のままで帰宅できない人もいましたが、自分たちのことのように喜んでくれました。

7月28日(金)

休みの金曜日に当たっていたので、午前中に帰宅。

避難する前から元気がなかったのであきらめていたガクアジサイは白い花を咲かせていました。

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家の前に置いてあったベンチが少し移動してありました。万一の場合、火が移らないように家から離してくれたようです。また、裏庭もチェックしてくれたようで、家に立てかけてあった木の板は庭の真ん中に移動してありました。避難命令の後、1件1件点検してくれた人たちがいたようです。

外にあるテーブルに少し灰が落ちていた以外は何も変わっていない自宅に戻ることができました。

自分たちの幸運に感謝するばかりです。

わが家がとても恵まれた避難生活を送っている間、連日連夜消火活動を行っていた人たち、住民が留守の間安全を確保してくれた人たち、その人たちの生活を支えるために街に居残ったり、他の街から派遣された人たち。昨年の大規模な山火事で被災したことを教訓に、いち早く援助物資を送ってくれたフォートマクマレーの人たちやわが家を暖かく迎えてくれたクネルの人たち。感謝の気持ちでいっぱいです。





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